秋元康の高校時代がわりとイケメンな件www
放送作家でAKB48のプロデューサーでもある秋元康(56)さんの高校時代の画像が話題となっています。
▼現在の秋元康さん
▼高校時代の秋元康さん
これについてネットでは、
★おーーーーーーーーー
★思ってたよりイケメンだった
★育ちのいいお坊ちゃん風のイケメンだったんだね
★さわやか
★クラスにいる地味グループのなかで一番目立つ存在って感じ
★意外ともてそうだね
★てっきり小太りだと思ってたが違った
★ちなみに若い頃
★純くんに似てるね
★純はイケメンかどうかはわからないが秋元にしてはイケメンだな
★1985年 秋元康(27) とんねるず(23)
★この当時でサラリーマンの4倍は稼いでたんだろ
★すげーな
★自分の親よりも稼いでたんでしょ
★それは大学時代らしいよ
もともと官僚志望で、開成中学を受験するも不合格、高校進学の際には親の勧めがあって中央大学附属高等学校を選択した。
高校2年生になった1975年、そろそろ勉強しないと東大に入れないと思い、受験勉強を始めた。しかし大半の生徒が母体の大学に進学する環境もあり、なかなか勉強には集中できなかった。
その年の冬の夜、ニッポン放送『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした平家物語のパロディを受験勉強用に用意したノート20枚にわたり書き上げた(当時同番組には「せんみつ深夜劇場」という名作古典文学のパロディのコーナーがあった)。
募集されていたわけではなかったが、同級生の薦めを受けそのノートをニッポン放送へ送ったところ、当時ニッポン放送社員だった亀渕昭信と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まった。
こうしてニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属した。
中央大学文学部入学後、放送作家として活動を始めた当初は放送作家をアルバイトと考えていたが、当時のサラリーマンの4倍近い収入を放送作家業によって得ていた。しかし、本人はそれを「あぶく銭」だとしていた。「思えば、道草から始まった人生」と自身は回想している
参考:Wikipedia
★どうやったらハガキ書いてる素人がコネ出来て放送作家なれるんだよ
★ラジオは経費ないから才能あって安く使える人材はいつでもウェルカムなんだよ
★あの時代に中央付属だから結構なお坊ちゃん
★自分がプロデュースしたアイドルと結婚か
★何をこじらせてあーなっちゃったんだ?
★理想を絵にかいたような生活だねw
★しかし現在は太り過ぎの模様
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★すっかり彦摩呂への道へ…
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★毎日ステーキ食ってそう
(;・∀・) 高校時代と今のギャップにビックリ… 是非ダイエットしていただきたいですね。